【世界遺産】関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)に行ってみた

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鹿児島市内にも世界遺産が!?

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関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)と言うところに行ってみました。

関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)とは?

鹿児島県鹿児島市下田町にある用水路。1852年(嘉永6年)に築かれ、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって行われた集成館事業の動力源として利用された。
2015年7月に行われた第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。

Wikipediaより引用

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集成館事業の本丸「集成館」までの約7km、動力源の水を運んでいるとのこと。

下田町は、鹿児島でも高いところにあり錦江湾までクネクネと下っていったんですね。

しかしようよう調べると、

  • 取水口の海抜高度 132m
  • 集成館の海抜高度 124m

その高度差、なんと8mしかないとのこと。
当時の技術力の高さが伺えます。(DA◯H島で僅かな傾斜をつけてたアレか、と。)

関吉の疎水溝・「吉野疎水」取水口

豊かな水が集成館を支える動力源に

img_1451産業や大砲製造に使用する機械類を動かすには、大きな動力が必要です。
しかし、初期の集成館工場群にはまだ大型蒸気機関が導入されていませんでした。
そこで、吉野台地と磯地区の標高差で動力を生む水車が使用されました。
下流側左岸の岩盤に見える縦長の溝は、水をせき止めるための仕掛けの跡。
その左側に取水口跡があり、溜まった水を疎水溝に送水していたことがわかります。

集成館に工業用水を供給した水路

蒸気機関が本格的に導入されるまで、集成館の工場群で使用された主な動力は水車によるものでした。
そこで磯の別邸、仙巌園に水を供給するために築かれていた吉野疎水を再整備し、嘉永5年(1852年)に新たな水路を築いて集成館の工場群に工業用水を送る仕組みを作りました。

稲荷川の上流は棈木川(あべきがわ)と呼ばれ、関吉では凝灰岩の警告に寄って一旦川幅が狭くなります。ここで水をせき止めて一定量を取水し、疏水に送り込んでいます。
疏水溝の一部は現在も灌漑用水として利用されています。
また、磯の修正感側では吉野台地から落とした水を架樋(かけひ)によって水車に送り、大砲に穴を開ける動力に使ったり、別な水路の水を砂鉄選別などにも利用していました。

アクセス

鹿児島県鹿児島市下田町1222 付近
鹿児島中央駅から車で約30分
九州自動車道吉田ICから車で約15分
入場無料!

現在

取水口跡は、ほぼ当時のまま現存。
一部は今でも田んぼの用水路として使用されているとのことでした。

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写真右側に見えるのが、用水路跡取水口跡?。
これ以上は近づけません。

img_4318田んぼはのどかな風景。
カモが泳いでいます。

集成館事業とはなんぞや?というのは、また今度。

明治維新を支え、薩摩の繁栄を支えた、のどかな景色の広がる関吉の疎水溝へ是非訪れてみましょう!

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